四十にして迷わずとは、老子の言葉ですね。論語にあります。そのため、四十を不惑(ふわく)といいます。コロナ化で30代以下の女性の自殺が増えているといいます。そのニュースを見たとき、この言葉が頭をよぎりました。すいません、私は死にたいと思ったことはないです。3か月間、駅のホームで会ったら突き落としてやると思った人はいます。自分の家族を犯罪者の家族にしたくなかったから、思いとどまりました。
20代30代と正義感の強いひょうねえは、常に世の中の理不尽に怒り、自分の考え、行動がままならなくて、いつも頭の中がモヤモヤしていました。これが、年齢を重ねるにつれ、頭の中の霧のようなモヤモヤが晴れていったのです。何もせず時を過ごしたわけではありません。考えられることを行動に移しました。自己投資、習い事をいっぱいしました。茶道、書道、料理、洋菓子作り、和菓子作り、アナウンス学園での話し方講座、占い師の養成講座、会社で働きながら通信制大学で経営学を学び、地方に住んでいたのに東京で開かれるスクーリングに参加し、卒業後は関東への転勤を機に、MBAにも通い卒業しました。いいと思ったことやってみたいことは、とにかくやってみました。自己投資のもとをとったか?!といえば、正直わかりません。しかし、四十のあたりから、自信がついてきました。年齢的なものがあるのか知りませんが、自分自身の人生に、「これでいいのだ」というような自信です。正直、今が私は一番いいと考えます。過去には戻りたくない。
30代以下のお嬢様方、人生に正解なんてないよ、いっぱいもがきあがきましょう。いっぱい考え、いっぱい行動し、ほどほどの無題使い(借金しない程度)をしましょう。四十近くになるとほんとに楽しいです。
そして人生の頂点は75歳です。自分の親たちを見てその年代でどうなっているかを目標にするかもしれませんが、まだまだ親の世代すらこれからどうなるかわからない。田舎に育った私は、不幸せそうな老人を何人かみてきました。その方々は、結婚の有無、お金の有無、子の有無は関係なかった。
私の75歳での目標は、「明日、やりたいことがある」人間になることです。明日、何を食べたいか。明日、何を買いたいか。明日、誰に会いたい。明日、家のどこどこを片付けようとか。そんな75歳に私はなりたい。
ではでは。
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